令和の旅 いかにして天照大神は伊勢に鎮座されたか

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令和の旅 倭姫命物語『いかにして天照大神は伊勢に鎮座されたか』

はじめに

*日本の神様には、古事記や日本書紀に登場する神統譜の神々とそれ以外の神様が存在します。
*日本の神様には、朝廷との関わり方によって神宮、大社などの身分がありました。(奈良時代以降に神々の差別化が進み、延喜式、風土記に詳細が規定される)
*神様のよりしろが自然の巨岩である磐座(いわくら)や巨木の神籬(ひもろぎ)から邸宅(神殿)へと移りました。
*神様の邸宅(神殿)が造営されると神殿(拝殿)の有無によって神の差別化が進み、社殿が神様の身分を示すことになりました。(この究極が権現造と考えられます)
*神様の邸宅は人家から清浄な場所へ移動しました(遷宮)。
*神様(天照大神)が、ご自身の意向を伝えながら遷宮(倭姫命巡行の旅)を行われて、現在の伊勢の地に鎮座されました。

倭姫命(豊鍬入姫命)ご巡幸について

時は第10代崇神天皇の時代、今まで皇居でおまつりしていた天照大神を他の場所に移すことになり、皇女・豊鍬入姫命を大神の御杖代とし、御心に叶う相応しい鎮座地を求めて旅に出ました。

その後、垂仁天皇―25年3月丙申(10日)、天照大神を豊鍬入姫命からはなして皇女倭姫命が引き継ぐことになり、まず倭笠縫邑(大和)をはじめとして、宇陀の篠幡(ささはた)で引き返し、近江国に入り、美濃を経て伊勢国に至りました。

「是れ神風の伊勢国は、常世の浪の帰(よ)する国なり。傍国(かたこく)のうまし国なり。この国に居らんと欲(おも)ふ」日本最古の正史『日本書紀』より

倭姫命について

*第11代垂仁(すいにん)天皇の第四皇女で景行天皇の妹です。
倭建命(日本武尊)の叔母で倭建命東征の際、日本武尊に天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を授けられました。
*母の豊鍬入姫命より天照大神の御杖代役を継承し、「御送駅使(はゆまつかひ)」と呼ばれた五大夫とともに伊賀、近江、美濃を巡って伊勢国に至りました。(元伊勢のルーツ)
*神宮への功績から大正12年、倭姫命を御祭神とする別宮「倭姫宮」が創建されました。

令和の旅 倭姫命の巡行から伊勢神宮の由緒を知る

天照大神はなぜ伊勢に鎮座されたか

崇神天皇が即位されて6年が経過した己丑の年の9月、天皇が倭の国の笠縫邑(かさぬいむら)に来られて「これより後は天照大神をこの地にお祀りせよ」とおおせになり、皇女である豊鋤入姫命に御神鏡(八咫鏡)御神剣(天叢雲剣、草薙の剣)をお授けになった。

*『倭姫命世紀』によると第10代崇神天皇の御代、皇女豊鋤入姫命が八咫鏡を奉じて倭の笠縫邑(かさぬいむら、奈良県桜井市付近、檜原神社)を出発し、丹波の国(現在の京都府北部、天橋立付近)に巡行され、吉佐宮(よさのみや、真名井神社)に4年お祀りした。

*再び大和の伊豆加志本宮(いずかしのもとみや、與喜天満神社)に8年祀られ、次に紀伊国奈久佐濵宮(なくさのはまのみや、和歌山市毛見、濵宮神社付近、現在の日前神社・國懸神社)に3年間お祀りしましたが、その後、「吉備国名方濵宮(きびのくになかたのはまのみや)」というところに遷り、4年間祀られた。

*その吉備国名方濵宮とは、海南市日方にあったいびきの森(伊勢部柿本神社)であると古くから言い伝えられている。

*いびきの森で4年が経ち、八咫鏡は再び豊鋤入姫命が奉じて倭の弥和乃御室嶺上宮(みむろのみねのかみのみや、大神神社)というところに遷りました。

*そして垂仁天皇即位25年に豊鋤入姫命の意志を継いだ皇女倭姫命が各地を巡行した末、伊勢の地に至り、天照大神は伊勢の神宮に鎮座した。

倭姫命の巡行地『皇太神宮儀式帳』による元伊勢巡り

『皇太神宮儀式帳』は延暦23(804)年8月に皇大神宮禰宜荒木田公成らが神祇官に差し出した解文で、『止由気宮(とゆけぐう)儀式帳』と併せて「延暦儀式帳」ともいう。
*当時における皇大神宮の諸制度が詳細に記され、『延喜大神宮式』と並んで神宮の規範として尊重された。
*この中で倭姫命の巡行地は次の14か所が記されており、これが元伊勢のルーツ(土地の国造らが御田を寄進した)です。

①美和の御諸の宮(奈良県桜井市 三輪山)
②宇太の阿貴の宮(奈良県宇陀市 阿紀神社)
③宇太の佐々波多の宮(奈良県宇陀市 篠畑神社)
④伊賀国の穴穂の宮(三重県伊賀市 神戸神社)
⑤伊賀国の阿閉柘植の宮(三重県伊賀市 都美恵神社)
⑥淡海の坂田の宮(滋賀県米原市 坂田宮岡神社)
⑦美濃の伊久良賀の宮(岐阜県瑞穂市 天理神社)
⑧伊勢桑名の野代の宮(三重県桑名市 野志里神社)
⑨伊勢河曲鈴鹿の小山の宮(三重県亀山市 布気皇館太神社)
⑩伊勢壱志の藤方片樋の宮(三重県津市 加良比之神社)
⑪伊勢飯野の高宮(三重県松阪市 神山神社)
⑫伊勢多気の佐々牟江の宮(三重県多気郡明和町 竹佐々夫江神社)
⑬伊勢玉岐波流 磯の宮(三重県伊勢市 磯神社)
⑭伊勢宇治の家田の田上宮(三重県伊勢市 神宮御田)

令和の旅 伊勢について『倭姫命世紀』と『万葉集』から学ぶ

『倭姫命世紀』と伊勢の神宮125社の由緒

*鎌倉時代に外宮度会(わたらい)神主が神宮御鎮座の次第を体系的にまとめたもので伊勢神道の根本経典「神道五部書」の一つです。
*崇神・垂仁朝の皇大神の御遷幸の次第が詳細に記され、豊鋤入姫命の丹波、紀伊、吉備と倭姫命の瀧原宮、伊雑宮が追加されています。
*また、二見の御塩浜などの御料地、祭典、豊受大神宮の御鎮座、両宮付属の所管社(神宮の125社)等の由緒も記載されている。


  • 倭姫命の教え「元々本々(げんげんぽんぽん)」

倭姫命

倭姫命

*倭姫命の教えは今日の伊勢神宮における祭事の基本となっています。

「黒(きたな)き心を無くして、丹(あか)き心を以ちて、清(きよく)潔(いさぎよ)く 斎(いつ)きつつしみ、左の物を右に移さず、右の物を左に移さずして、左を左とし、右を右とし、左に帰り右に廻(めぐ)る事も 万事違ふ事なくして、大神に仕え奉れ。元を元とし、本を本とする故なり。

*元(はじめ)を元として本(もと)を本とする、万事決まっていることを変えることなく、誠心をもって天神大神にお仕えする(伊勢神宮の神祭の基本)

『万葉集』柿本人麻呂の挽歌 天武天皇と伊勢の関係

壬申の乱で活躍した大海人皇子の子、高市皇子(たけちのみこ)の死に際して柿本人麻呂の詠んだ次の挽歌より、大海人皇子(後の天武天皇)は斎宮(伊勢)からの神風の力を得て勝利したことを示唆しています。

「ゆく鳥の争うはしに度会の斎宮(いつきのみや)ゆ 神風に伊吹きまどはし天雲を日の目もみせず常闇(とこやみ)に覆ひたまひて定めてし……」

*古代は天照大神の神霊が人身にのりうつる巫女を斎王(いつきのみこ)、その住まいを斎宮(いつきのみや)と呼びました。

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